舞鶴機関学校軍刀術 海燕会

令和2年8月15日よりツイート開始致しました。舞鶴機関学校で実施されていた軍刀術並びに関連の物事を稽古、研究しております。特定の団体や組織との関連はなく個人的な稽古会です。

前書きに代えて~令和の高山流白兵抜刀術の現状~

はてなブログへは二度目の筆記となる。

初回は諸事情に依り不本意な理由から削除、今回は仕切り直しの意味も込めてあらためて再挑戦してみることにした。

私自身の高山流白兵抜刀術との邂逅は二十代から始めた古流武術の師匠のご友人の方が舞鶴関学校の56期生で旧き良き思い出として戦後同期の方々へ配られたと云う(再編集した)教範本のコピー冊子を頂いた処からである。

これは当時、私が通っていた古流武術の道場で師匠が古流のみならず現代武道(柔道、銃剣道)にも精通されていたこともあり軍歴もお持ちだった御縁から陸軍の戸山流の教伝をも行っておられ其処に銃剣道仲間だった56期の先生がこういう流派も戦中にあったとの事で当時の門下生に資料として下さったモノと聴いている。

ミリタリー好きな先達の方々からは高山流も教本をもとに稽古を是非、との声もあったそうだが師匠は乗り気ではなく戸山流のみの教伝でついぞ高山流実現には至らなかったと云うエピソードがあったそうだが私には懐かしき思い出の品である。

師匠の没後、元の道場を離れた私は日本刀の実戦性がどこまで有用だったのかが知りたくなり五年前に随分と遠ざかっていた高山流に興味が起こり僅かな情報ながら関係者各位の方々に直接お会いして尋ねてみることにした。

短期間ながら稽古も経験させて頂いたが現状の高山流の教伝については主に2つの会派が存在しており片方の御会は試斬中心で形は重視されておられず、もう片方の御会は恐らく形、試斬を両方行っておられるがご自身で復刻されたモノを元に教伝の活動をされておられる。

双方の御会にてそれぞれ高山流について遺された情報に基づき地道な活動をされておられるが完全なる意味合いに於いて伝系が続いているかといえばそうではなく今や復刻を余儀なくされているといった現状である。

片方の御会の主宰の方は直接高山政吉 氏から教伝を受けた人物より形の表演や説明、幾つかの手解きは受けられたそうだが専ら昔語りを伺う事が多く全ての内容の教伝を受ける機会はなかった様である。

上記の2つの御会については片方は間接的な直伝、片方は独力に依る復刻となり情報源については高山政吉 氏を元にしているがそれぞれに事情が異なる。

斯く云う私の方は舞鶴関学校56期の先生の教本となるが五年前に久しぶりにご本人様へお会い出来、貴重なお時間を頂いて当時の事をお手持ちの資料を交えながらお話を伺う事が叶ったと云う内容のモノである。

冒頭の個人的な事情もあり自身の情報は私蔵のまま封印しようかとも考えたが高山流については消極的な情報の発信が多く巷では誤った情報も多い様子から多少現在の高山流に関わった者として知りうる事を記録として残しなるべく誤解がない形でのご理解を頂けたらとの思いが生じここにほんの僅かながら記録を記す事に決めた次第である。

極力、世間の皆様へ誤解や混乱がない様に文章には十分気を付けて発表を致したいと思いますが関係者各位の方々のプライバシーや諸事情を鑑みあくまで発表は匿名中心の発信とさせて頂きたいと存じます。

それに依り分かり難い部分が生じる可能性も御座いますが何卒その点をお含みおきお読み下さいます様ご了承の程、宜しくお願い申し上げます。